愛しき狂人の最期まで
呼んだところで多分このままだと間に合わない。少しでも時間を稼がなければ、そう思いながら。途端聞こえたのは佐々山の耳をつん裂くような声。元来た道とその声を頼りに、足早に行けば目の前に飛び込んだのは藤間幸三郎に生きたまま解体されていく佐々山。震える手でドミネーターを向けるも現れたのはアンダー100の数字。何回向けたところで上がるどころか下がっていく数値に驚くほど力が抜け、何もできなかった私は同じようにして捉えられ、同僚が標本へと成り替わる一部始終を見せつけられた。
無論、私のサイコパス数値は急激に上がり、携帯していたドミネーターのトリガーは常時ロック。私にとってただの玩具と変わり果てた。まあどうせ使えたところで藤間相手には使い物にすらならなかったわけだが。
一度捉えられた私が何故生きているのか、記憶が朧気だが藤間幸三郎が私に蹴る殴るの適当な暴行をしている最中、突如早々にどこかへ立ち去ったのだ。こんな所で逃げられてたまるかという一心で立ち去る前にここで私を殺さないと私がお前を殺すと叫び散らしたのははっきり覚えている。返事は何も返ってはこなかった。
その後、標本へと変わり果てた佐々山を発見した上司の狡噛慎也は、その際急激に数値が上昇したのにも関わらず、藤間の捜査続行。私が彼に見つけられた時にはもうサイコパス数値は潜在犯の数値を大いに超えていたように思う。そんな一眼にもわかるくらいだったのだ、あの血走った目は。
彼はあの事件を境に監視官から執行官へと降格した。そして現在、私は表面上の執行官をしている。つまり本質的には執行官という職から外れているわけだ。私自身、一度あそこまで急上昇した潜罪犯を執行官に使うのには驚いた。どうやら数値が全て物を言うこの社会では、サイコパス数値が安定すればそれで良いらしい。
だが執行官としての待遇は受けていても、潜罪犯を執行するのはかれこれ1ヶ月以上行っていない。
ドミネーターを持つことができないのだ。持った瞬間、佐々山の悲鳴とその時の光景が蘇り、嘔吐しながら一係の前でのたうちまわったのは記憶に新しい。ようは一応安定値までサイコパスは下がったものの、自身の心の問題が残っているのだ。今は執行官扱いされているが、後長くて半月もドミネーターすら掴むことができなければ、狡噛監視官が上司でなくなった今、宜野座監視官の部下に値している私は、彼に使えないと認識されれば潜罪犯が隔離された場所へと連れて行かれるのだろう。
「……っ、ぁ…やば、」
昔を思い出したせいか、はたまた隔離施設へ行くことになるという恐れからか、突如吐き気に見舞われた。勢いよく立ち上がり、誰もいないことを心底祈りながら洗面所へ駆け込む。自分1人しか居ないことに安堵し、駆け込んだ先で1人嗚咽を漏らしていれば、この半年間会わないよう会わないようにしていた今の上司である宜野座監視官が入ってきた。よりによって、という言葉が今まさに相応しい。この人の前で醜態を晒したくないと、無理に吐かないようにすれば、抵抗するようにむかむかと胃から上がってき、結局また吐き出してしまった。落ち着くまで待たれているのか否か分からないが、話しかけることもせず、ずっと見られている。人に嘔吐している瞬間をただじっと見られるというのは、なんとも屈辱的だ。
吐き気が一旦落ち着いたところで、口を開こうとすれば意外にも話しかけてきたのは向こうであった。
「久しぶりだな」
「…お久しぶりです、宜野座監視官」
「ほう、まだその言い方をするか」
「………それは私がもう執行官ではないのに、という意味ですか」
異様なほど声が震えた。執行官ではなくなり隔離施設へ帰らされることへの恐れがそうさせたのだと思う。が、意外にも返ってきた言葉はそんなことを匂わせる言葉ではなく、
「いや?執行官の役目も果たしていないのに、自分のことを執行官だと認識しているんだなと思っただけだ」
ただの嫌味の塊であった。
眉間に皺が寄り添うになるが、こんな嫌味を言う為だけに私に話しかけた訳ではないことぐらい分かる。わざとらしく溜息を吐いた後、単刀直入に何か用ですかと聞けば神妙な顔をして、新しく配属されるであろう執行官の話を持ち出された。
それに対し1番に思ったのは、"佐々山の埋め合わせ"。
そこまで考え終わって、その考えを払拭しようと努める。新人執行官に対し、埋め合わせ、なんて言葉が軽々しく出てくるくらいには私は酷く落ちたものらしい。現在19歳だというその新人執行官は5歳で潜在犯認定を食らったそう。それからずっとあの隔離施設で過ごし、19歳でシビュラに執行官としての適性が出てめでたく…まぁ執行官入りを果たしたそうだ。それが一体私に何の関係があるのかと問う前に、そのまま続けて思いもよらない言葉が発せられた。
「お前にその執行官の指導を、と朱生局長が言っておられる」
正直、何を言われているのかいまいちピンと来なかったというのが本音だ。指導?ドミネーターも持つことのできなくなった出来損ないが新人相手に何を指導できるのか。舐められて終わりである。
「シビュラはお前を未だに執行官として置いとけと言うが、こちらとしては使えんお前を執行官として置いておくだけでは政経が成り立たん。」
要は掻い摘んで整理すると、目に見える仕事をしろ、ということらしい。
しかし…使えん執行官、とはこれまたきつい一言である。
「変わりましたね、宜野座監視官」
「そうか?」
「はい、前より執行官に対する扱いが酷くなってます」
「笑顔で言うことじゃないと思うんだが」
一瞬迷ったが、この会話の流れを崩さないように一つ聞いてみることにした。目の前にいる彼が変わったのは凡そ狡噛監視官が降格してからだ。
だが、変わったのは狡噛監視官のせいですかという私の問いかけは鋭い目と低い制止の声により、最後まで言うことはできなかった。
立ち去る前に吐き捨てるように言われた「あいつはもう監視官じゃない、お前と同じ執行官だ。間違えるな」という宜野座監視官の言葉が脳内で繰り返される。頭が痛い。ガンガンする。
だんだんと遠くなる背中を追いかけることもできずに、私はただ、その場で立ち尽くすことしかできなかった。
***
「あんな冷たい目する人だったっけ…」
1人になって考えようとベッドに横たわったはいいものの、浮かぶのは未だかつて見たことのなかった宜野座監視官の冷たい眼差しであった。
一度ベッドから立ち上がり、水を飲もうと台所へ行く。するとタイミングを合わせたかのように手首に巻き付けてあるデバイスが鳴る。
目をそちらに向ければ、友人である六合月弥生の名前と共にCALLの文字が浮かび上がっていた。
「珍しいね、電話なんて」
『聞いた?』
挨拶や世間話をする余裕もない。まあ彼女らしいといえば彼女らしいのだが。
「…指導役の話なら」
『そう』
暫くの沈黙。こういう時、ずかずかと入って来ないところが弥生のいいところだと認知している。
正直受け入れるしかないのは分かっているのだ。拒否すれば隔離施設に再び戻ることは目に見えている。
ただ今の私に何ができるんだという気持ちでいっぱいいっぱいになる。最悪またのたうち回りかねないし、こんな生半可な気持ちだと早々に死にそうだ。
それならいっそあの狭苦しい部屋で一生を遂げた方がいいのかもしれない、そんな気持ちが顔に出ていたのだろうか。
長い沈黙は途端に破られた。
『狡噛も待ってるわよ』
「っ、ほんと?」
『分かりやすいわね』
弥生の言う通り、自分でも分かるぐらい声がワントーン上がったのがくすぐったい。こんなに単純だったであろうか私は。
緩む口を必死に正そうとするがこれがなかなか難しい。でもしょうがないじゃないか、好きな人が、ずっと片思いしてる人が、自分を待ってくれているんだぞ。
もはや悩むなんて馬鹿らしいというものだ。早々に弥生に別れの言葉を言った後、先ほど嫌味を言ってきたあのくそメガネに電話をかけるべく再度手を伸ばしたのである。
(久しぶりだな、)
(… 狡噛さん、お久しぶりです)
(さん付けは寄せ、お前は俺と同い年だろ。俺はもう監視官じゃない。ただの執行官だ。)
(監視官じゃなくても狡噛さんは私の尊敬する、上司です。)
(…頑固なやつだな)